2023年7月24日月曜日

昨日異今日
今晨非来晨
心随前縁移 縁与物共新 知過則速改 執則是非真 誰能守枯株 直待霜為鬢
良寛


昨日と今日が違い、今朝と明日の朝が違うように、心も時や物事の移ろいとともに変わっていくものだから、過ちに気付いたらすぐに改めるべきだ。建前や形式にとらわれて機を逸する事の無いように、その時々にできることを臨機応変に。
二度とは起きぬ事のふたたび目を老人になるまで待ち続ける人はいない。

2022年10月20日木曜日

良寛「書して某氏に与う」を読む

・読み下し

書して某氏に与(あた)う

古に曰く 君子は物を好まずして意(こころ)を物に遇せしむとは誠なる哉(かな) それ人の意あるは 物に触れて感ずれば 則ち憂喜を発す 其れ未だ発(ほっ)せざる 之を中と謂(い)い 発して節に中(あた)る 之を中と謂う 足らざるは則(すなわ)ち及ばず 過ぐれば則ち溢れ 溢(いつ)るれば則ち流る 流れてその身を喪うに至ると 我をして細かに之を道(い)わしめんに 身を没するも尽くす能(あた)わじ 請う其の大体を道わん 陶淵明は之を菊に遇し 謝康楽は之を山水に遇し 支遁は之を馬に遇し 劉伯倫は之を酒に遇す 書に遇する者 琴に遇する者 詩に遇する者 画に遇する者 狂言に遇する者 滑稽に遇する者 或は楽しみて之を忘れ 或は好みて之を執る 古来の感 目前の徴(しるし) 了然として観るべし 何れか是なる 是非は子其焉(これ)を択べ   良寛



・あれこれ参考にしつつ、あくまで個人的に訳したもの

昔から、人徳・学識・礼節を修めた人は物を好むのではなく物の本質(作った人の思いや物の成り立ち)に心を注いでいたと言われていることの、なんと真実であることでしょうか。

もし、人にその心があれば、物に触れると憂いや喜び、豊かな感情が湧くのです。

喜びも憂いも感じない状態を「中」といい、これは心のバランスがとれている状態です。でも、喜びを感じているとしても節度を保てているのであれば、それもやっぱり「中」といえます。

心が足りないと喜びを感じることはできませんが、多過ぎると煩悩があふれ出て心のバランスが崩れ、ひとつことに執着したりあれこれと目移りしたりで気付けば時だけが流れて人生のタイムリミットが迫っているということになります。

私は、物や趣味に執着没頭するということについてここに記しています。しかしながら、そうであろうとなかろうと、人はいずれ死ぬ。このことは止められません。あなたに請われてここに書くこれが、物に執着すること趣味に没頭することの全容です。

陶淵明は菊に、謝康楽は山水に、支遁は馬に、劉伯倫は酒に、それぞれ出会い、それらに没頭して生涯を終えました。彼らの他にも書や音楽、詩や絵、お笑いや文学と出会った者たちがいました。彼らは趣味を満喫し、それらに没頭していずれ迎える死を忘れているのです。もしかしたら、趣味に没頭することで死を忘れようといるのかも知れません。

古くから言われてきていること、そして今目の前にしている物事、これらすべてをよく見定めてください。

何が正しく何が間違っているのかということは、結局はあなた自身が決め、選ぶことなのです。

良寛



良寛は僧として物や趣味に執着没頭することを、ここで戒めているのだろうか?これを読んで、良寛の生涯について読み聞いた事を思い返してみると、自分には、浮世に生きている間にこの俗世で趣味に没頭するような生き方も、それもまたありだよと言っているようにも思える。どっちであっても、答えとして選んだあなたにとってのそれが正解ですよ、と。



2022年7月16日土曜日

塩分

数年前にアトリエ二馬力を訪ねた折のこと。

「俺、今日昼まだなんだけど、ちょっとメシ食っていい?」と宮﨑監督。

時計を見ると14時をまわっていた。

お忙しい時にすみませんと詫びると、「いや、お忙しいって、俺はいつも“お忙しい”んだけどさ」と監督。

“お忙しいところ” ”お邪魔します”そんな社交辞令の常套句をしばしば監督は突っぱねるようにあしらう。持って回った言葉のやり取りが嫌いなのだ。あがり際にお邪魔しますなど言おうものなら「お邪魔しないでくれよ」。気難しいようだが、しかし、巨匠・宮﨑駿のこれはユーモアだ。


「これ知ってる?味噌汁」

監督は銀色のかたまりを振って見せた。フリーズドライのインスタント味噌汁だった。

「これね、具だくさんでだしが利いててうまいんだよ」

カウンターの流しに伏せてあった椀をひっくり返すとフリーズドライのかたまりを入れて湯を注ぎ、かき混ぜてひと口。

すすった途端、「薄い!最近の味噌汁はなんでこんなに薄いんだ!?」

カウンターの棚から塩の袋を出すとスプーンで掬ってサッとひと匙椀へ。

「うん・・・」

あっけに取られる暇も突っ込む間もなく弁当箱が開いて現実の「ジブリ飯」が始まった。なにしろ創り手自身のそれだ。すべてのジブリ飯の父。今様に言うとすれば、さしあたり“シン・ジブリ飯”といったところか。

2022年5月27日金曜日

湯治場の裏山

古くから湯治場として知られるM県のK温泉へ泊まった時のこと。

日の暮れる前に宿へ着いたものの、夕食までにはまだだいぶ時間もあったので、明るいうちにとカメラを持って散歩に出た。

湯治場の建物や、行商人が長期滞在の湯治客相手に雑貨や生鮮品を商う店として使う小屋を撮っていると、温泉とその周辺の略地図が載った案内板を見つけた。

神社があるようだ。宿に戻って訊くと、湯治客が詣でる神社だという。

教えられた道を行ってみると宿の裏手に出た。少し歩くと杉林が切れて、そこから先は笹に左右を挟まれるような細い道。腰のあたりまである笹の中を掻き分けるように行くと、唐突に目的の神社が現れた。

正面にはすっかり朱が剥がれ朽ち木のようになった小さな鳥居が立っている。笠木までの高さが私の背丈ほどしかない鳥居をくぐって参道に出た。参道といっても社殿まではほんの数歩。周りは笹ばかりで手水もなにも無い。

社はさっき撮った行商の小屋ほどの小さなものだった。社殿の壁や窓の桟には湯治客が奉納した御守りと思しき人差し指ほどの小さな黒っぽいものが絵馬のように紐で結わえ付けられており、風でかすかに揺れていた。

快晴の夕刻は光と陰がきっかり分かれる。オレンジ色の夕陽が強く当たって明るいわりにコントラストが強すぎてものはよく見えない。社殿の正面の階段へ足を掛けて鈴の緒に手をのばしたところで気付いた。社殿に結わえ付けられていたのは御守りではなく、すべて小さな髪の毛の束だった。

その途端、私は身体が硬直してその場から動けなくなった。

人は、突然度を超えて気味の悪いものに至近距離で相対すると、頭や身体が対応できずにその場に立ちすくんでしまうのだろう。私は身体をこわばらせたまま目の前の髪の毛の束を凝視するしかなかった。

やがて、夕陽の強い明暗に慣れてきた目に、社殿のあちこちに置かれたり差し込まれたりしている物が見えてきた。杖、丸めた包帯、割れたギブスの残骸・・・

松葉杖の置かれているのが目に入る。アルミの松葉杖。握りと脇に当てる部分が青いプラスチックで出来ていた。

プラスチック。そんなに古くない松葉杖だ。「ここに最後に人が来たのはそう昔ではないらしい」そう思った途端、スッと身体のこわばりが緩んだ。私は社殿の方を見たまま視線を切らずにそろりと鳥居をくぐると、つとめてゆっくり歩いて元来た道を宿へと帰った。

2022年5月2日月曜日

太巻き

2015年か2016年のちょうど今くらいの時季に宮﨑監督を訪ねた折、

「これ、俺の昼メシなんだけど、残っちゃって。良ければ食ってよ」

惣菜用の透明なパックに太巻きが2本。1本分隙間があるのは監督のお腹におさまったらしい。

「酢飯の酢がちょっと利きすぎかも知れないけど」と監督。

淹れたてのコーヒーで太巻きを2本いただいた。

「ははは!コーヒーには合わないだろ!」と監督。
今日は弁当休業日だったらしい。パックには398円の値札が貼られていた。

2022年5月1日日曜日

修繕

 「じゃあ日時が決まったら連絡するから」

宮﨑監督はモレスキンの手帳を開くと、「ここ。連絡先」と万年筆を載せて私へ渡した。
小振りのパイロット万年筆は年季もので、胴の割れたのをセロテープで巻いて直してあった。
眼鏡のツルもセロテープで、サンダルはガムテープで、監督はおおむねテープで直す。

2021年12月25日土曜日

本を探す

 久しぶりにジブリのSさんから電話。

ご無沙汰しておりましたお元気ですかとか、ええ何とかやってますとか、コロナ禍でーといった世話ばなしをひとしきりした後でSさんのいわく、

   「ところでつかぬ事を・・・以前、宮﨑さんからこんな内容の本を贈られたことはなかったでしょうか? 実は今その本を探しておりまして、宮﨑さんが『たしかあいつのところにあるんじゃなかったかな』と言われているのですが、もしお持ちでしたら拝借願えればと思いまして・・・」

内容を聞いて、すぐに何の本か判った。

「その本でしたら知っています。ただその本は監督からいただいたのではなくて、僕から監督へ差し上げたものなんです」

   「そうでしたか!宮﨑さんの勘違いですね・・・」

「その本で間違い無ければの話ですが。監督がお持ちのはずなので、二馬力か第一スタジオのどこかにあると思うんですが、でもあの本の数ですもんね・・・買った方が早いですね」


正確な書名と出版元を調べてメールしますと言っていったん電話を切ったが、調べてみると3年前に初版の出たものがもう絶版になっていた。古書で検索するとべらぼうなプレミアムを載せて売っている。

再度電話を掛けて事情を説明して、

「こちらで同じ内容の本を探してみます」

   「すみません・・・。こちらでも探し直しますので」


その日、店を閉めてから本屋へ。運よく同内容の本を見つけたので、買って翌日ジブリへ送った。

「風立ちぬ」の公開以降、宮﨑監督は常々『俺の頭の蛇口はもう全開まで開けてる。でも出てくるのはちょびっとだ』と言われていた。それでもイマジネーションを引き出す多足になるのなら本でもなんでも送る。


本を送った日の夕刻、今度は新潟市内ではなく実家近くにある地元の本屋へ行ってみた。すると、絶版になって古書で3万近くの値段で売られているはずの本、監督へ贈ったのと同じ本が、当たり前のように棚に並んでいた。

二冊目は週明けに送った。

蓄音機の落書き

 スピーカーとアンプを土産に宮﨑監督を訪ねた折のこと。 帰り際に監督が「これ」と言って封筒を差し出した。 「なんですか?」 「それで一杯飲みなよ」 見ると、『お礼』と書かれている。上には朝顔蓄音機の絵が。 「駄目ですよ。土産の礼金なんて聞いたことないですよ。それに一杯どころじゃな...