2026年9月23日水曜日

秘境Y

 「最近、県北方面での仕事がよく来るんだけど、この前この近くの集落に行ったんだよ。そこがなんだか凄い秘境っぽいところでさ。建物がみんな古くて。で、さらに奥があるみたいだったんだけど、ちょっと行ってみていい?」

昼食を食べるところを探して走っている最中だったが、まだそれほど腹の減っていなかった私は友人の思い付きに応計した。

車は国道を右に折れ、ある集落へ入った。途端に大時代な古民家の群れが目に飛び込んできた。太い柱に、現代では見られない曲がった木をアーチ状に用いた梁。風格ある建物が現役で残る一方で住む人が居なくなり朽ちて崩れかけた建物もそこかしこにある。驚く私を尻目に、ここの奥が見てみたいんだと友人は山奥へ車を走らせた。

山道をしばらく走ると、路肩に標識が立っていた。読んで絶句した。

「Yだ・・・」

それは県内でも秘境中の秘境、“Y”という集落だった。先達伝てに聞いてはいたけれど、まさかここでその名前に出くわすとは思わなかった。

「秘境“っぽい”じゃなくて正真正銘の秘境じゃないか・・・」

標識を撮って車に戻ると、じゃあ行ってみようと言って友人は走り出した。

うねうねとした山道を10kmあまり登って、雪避けのトンネルを幾つか抜けて、Yへ着いた。

水田と畑、山側の斜面のあちこちに民家が建っている。

そのまま飲めそうなほど澄んだ水の流れる川に赤い太鼓橋が架かっていた。橋を渡って石造りの鳥居をくぐり、古い急な石段を登ると神社があった。老朽化が進んでかなり傷んではいるものの、社殿も境内もきれいに掃除され、石段は時代を経て歪んだり傾いだりしてはいたが、各段の泥や土が掻き出されている。一見して大切にされ保たれていることの分かる社だった。

神社から村の入り口の丁字路へ戻ると、集落とその周辺の略地図を手書きした看板を見つけた。「Yへようこそ」陽に晒されて色褪せた字がうっすら残っている。

看板の隅には「古戦場跡」「十二人塚」とあった。かなり気になったものの、略地図には所在地までは描かれていない。なんの準備も無い部外の素人が、この秘境からさらに山奥へ向かって分け入るのはあまり良い思いつきではないし、ちょっと観に行ってみようかと物見遊山で行く性質の所ではないかなという雰囲気が字面から漂ってくるように思えたので、私と友人はそこで引き返す事にした。


帰り際にある家の前を通ると、縁側で機織りをしていた。


二人とも昼食は食べ損なった。夕方近くなって国道へ戻るとコンビニへ駆け込み、パンを買って茶で流し込んだ。



2024年8月26日月曜日

蓄音機の落書き

 スピーカーとアンプを土産に宮﨑監督を訪ねた折のこと。

帰り際に監督が「これ」と言って封筒を差し出した。

「なんですか?」

「それで一杯飲みなよ」

見ると、『お礼』とあって、その上には朝顔蓄音機の絵が描かれていた。

「駄目ですよ。土産の礼金なんて聞いたことないですよ。それに一杯どころじゃないでしょうこれは。細かいものをいじる仕事してるんですから、触っただけで分かるんですよ」

返すが、監督は手の甲で受け取らない。

「良いんだよ。友だちと一杯やれば良いじゃない」

「駄目ですって」

「だから良いって言ってるだろ!俺はもう一生分稼いだんだから」

「駄目です」

「だからお前は貧乏なんだよ!こういう時は儲かったと思ってさっさと仕舞っときゃ良いんだ」

「じゃあ封筒だけください。中身は要りません。絵のところを飾りますから」

「こんな落書きやる訳ないだろ。まったく・・・これは、こう、財布に・・・戻す」

言いながら監督は封筒の中身を抜くと、ポケットから出した二つ折れの財布へ戻し、封筒を上にかざして中をあらためてから折って財布と一緒に仕舞って、

「はい!あ〜あ。お前も相当変わってるな」と笑われた。


あれからしばらく経って、歳を食っておいおい図々しさが募ってきた今、あらためて思い返して、監督の言うとおりにあの『お礼』は貰っておけば良かったかなと思い直している。そうしていれば蓄音機の絵は今、自分の部屋か店に飾ってあったはずだから。

2024年5月10日金曜日

「プロフェッショナル・仕事の流儀」特別版を観て

「 プロフェッショナル・仕事の流儀」特別編は、先回放送時とは全く別の番組だった。正直なところ私には観ていて辛い内容だった。

自身の衰えを痛感しつつ前進ー監督自身の言葉どおり「這って」ーする度に、仕事で苦楽を共にした仲間が次々と先立って行く。

竹林さんの亡くなられた事を、私は昨夜の放送で初めて知った。その後番組の終わりまでを半ば茫然としながらどうにか観たものの、今も心の置き処が定まらずにいる。お世話になった方だった。

巨匠宮﨑駿ではなく、人間宮﨑駿を綴ったドキュメンタリーとしてこの番組は優れたものだったけれど、80代の人間に訪れる現実を目に彫り込まれるようだった。同じ時代を共に歩んだ仲間を死を隔てて失う辛さは、経験している私にも分かる。ただ、宮﨑監督にはそうした別れが何度も訪れる。そして、やがて静かな表情で自身の現在を受け容れる心境に至っては、私にはもう想像もつかない。

同じ経験をすれば私にも監督の心境が分かるだろう、もし、そこまで生きていたなら。生死を隔てた別れは誰にでも否応無しに必ず訪れる。そしてさいごは自分自身とも別れて死ぬ。情け容赦も無い、まさに監督の言われた通りの「生命へ込められた悪意」だ。

ひとつはっきり分かったのは、宮﨑駿は、番組の中で自身が言ったような、「ひょっとしたら初めから描けなかったのではと思うほどに描けなくなっ」た人ではなく、もうこのうえ線一本すらも引けないというところへ到達してしまうほどに描ききった人だということだ。


2023年12月19日火曜日

並行するプロフェッショナル仕事の流儀

16日の朝、ジブリのSさんからメールをいただいた。この日の夕刻に放送される「プロフェッショナル 仕事の流儀・ジブリと宮﨑駿の2399日」についてと、NHKのAさんからの言伝てだった。

「君たちはどう生きるか」の制作ドキュメントはかねてから楽しみにしていたものの、番組に関する知らせは放送当日までまったく無かった。サプライズ告知のための緘口令は徹底していて、番組内容はSさんへも知らされる事はなかったという。

私が気がかりだったのは、夏に届けた写真は使ってもらえただろうかということ。あの写真は私の作品ではない。撮ったのは私でも、苦労して写真として見られる状態へと仕上げたのは写真館のおやじさんで、そういう意味であの写真はおやじさんの作品だ。


Sさん伝てにNHKから依頼のあった写真は、宮﨑監督と高畑監督が並んで写っている2カットだった。宮﨑監督が生前の高畑監督と一緒に写っている最後の写真というのが選ばれた理由だったが、そのうち1カットはもともと手前に座っていたSさんにピントが合っていたもので、宮﨑監督にも高畑監督へもピントは合っていなかった。ただ、両監督の表情がとても自然で良かったので、Sさんには申し訳ないけれど画像をトリミングし、両監督のカットとして使う事にしたのだった。
もちろんそのままではアウトフォーカス部だけの何処にもピントが無い画面になってしまう。そこでおやじさんの修整の技に頼ることになった。

NHKから指定されたプリントを用意するにあたっては、おやじさんの店にネガを送り、ネガの状態を見てもらった上で印画紙や焼きの調子などを相談しながら決めていった。
どういうプリントに仕上げるか固まると、おやじさんはプリントと修整作業に入った。
「1週間ほどかかるけど、いい?」というおやじさんに私は
「急ぎません。おやじさんのペースでじっくりやってください」と応えた。

それから1週間後。
「思ったよりネガ傷の直しに手がかかっちゃって・・・もう少し時間もらえる?」
「大丈夫です。ゆっくりやってください」


仕上がりには3週間以上を要した。おやじさんから出来上がりの電話をもらうと、Sさんに連絡。翌週にジブリを訪ねる事になった。

東京へはコロナ禍以来だった。

「すっかり時間が掛かっちゃって・・・」仕上がったプリントを箱から出しながらおやじさんはしきりに詫びた。

プリントは素晴らしい仕上がりだった。
数種類の紙やすりを使って注射針のように細く鋭く研いだ鉛筆で点を打ち、写真を修整する「スポッティング」。ネガ傷を消し、像の印影を整えてピントの無い画面に鑑賞者の視線の基点となる“取っ掛かり”をつくる。それとわからぬようごく僅かに、少しづつ少しづつ整えていく。気の遠くなるような作業の末、宮﨑監督の3歳年嵩、85歳のおやじさんはピンぼけだった写真を見事な写真へと仕上げた。
聞けば、老眼に苦戦して作業の途中には眼鏡を新調したそうだが、眼鏡の出来上がりまでの時間も惜しんで眼鏡店からロボットのような検眼用の眼鏡を借りて作業を進めていたという。
「片側レンズ4枚で両眼で8枚。けっこう重いもんだね」
事もなげに笑ったおやじさんだったが、仕上がりについては、
「歳で眼が利かなくなって・・・昔と比べたら、60点くらいの出来だ」と悔しそうだった。

近所の中華屋でおやじさんと昼食をとった後、プリントを持ってジブリを訪ねた。

「やあ。元気?」
宮﨑監督はわざわざ立って迎えてくださった。
「いつ以来かね?」ぐいぐいと両手で握手をしながら監督。
「3年5ヶ月ぶりです」
「ハハハ、よく憶えてるな」

写真を観た監督は、ハハハと笑ったあとで黙ってしばらくじっとプリントを観なおして、
「これ、なんか俺が偉そうじゃない?」と言われた。
「偉そうではなくて偉いんです。ですからこれでいいんです」
私は軽口を叩いたが、内心は驚いていた。プリントの調子を指定した際、私はおやじさんに「なるべく宮﨑監督の体全体をドッシリとした雰囲気に焼いてください。黒々と大きく見えるように」と指定していたのだった。おやじさんの腕前。そして監督の眼。


翌日、新潟へ帰る前に遠回りしてもう一度おやじさんの店に寄り、しばらく話をして帰途についた。80歳を越してなお干からびるほど仕事に力を注ぎ込み、結果に満足し切らない。宮﨑監督もおやじさんもよく似ているなあと道すがら思った。


番組では2カットのうち1カットが使われた。ピントの無かった方のカットは、使われなかった。「写真、出てたね」おやじさんは番組を観てとても喜んでくれた。

使われなかった方のプリントは今、私の店に飾ってある。





2023年12月13日水曜日

弁当

 朝、全粒粉食パンを焼いてメープルジャムを塗って食べた途端に強烈な懐かしさに襲われた。何だろう、なんだっけと一所懸命思い出したらバランスアップのメープル味だった。サービスセンターで即時修理をしていた時によく食べていたのだった。

当時は昼休みにカップ麺を待つ間にも修理品が入ってきた。作業を終えて休憩室に戻ると、ふやけた麺が蓋を持ち上げていた。それでバランスアップにして、やがて弁当を作るようになった。弁当は休憩室ですぐに食べられるもの。大抵はおにぎりで、時々カレーを作って持って行った。

ある時、弁当を食べようとしたら、技術者長のAさんから「お、カレーか。ちょっと味見させてくれよ」と言われた。どうぞと答えた途端に即時対応に呼ばれた。作業を終えて休憩室へ戻ると、テーブルに弁当は無く、流し台に洗ったタッパーが伏せてあった。

「味見って言ったじゃないですか!」と抗議すると、Aさんはこちらを振り返り、のそりと半歩前に出ると「なんだよ・・・」と低く静かに凄んだ。

袖が鬱陶しいからと空調の効いているのを良い事に制服は年中夏服で通し、半袖から丸太のような腕を出してノシノシと所内を歩くAさんは技術者の間では知られたN社の最古参で、ズシリとした親方・親分的な佇まいの人だった。その迫力に気おされて私は泣く泣く引き退がった。

仕事帰り、「よう、昼間は悪かったな。うまかったぜ。腹減ったろ、飯行こう」とAさん。鰻をご馳走になった。

その後もAさんには度々ご馳走になった。

2023年7月26日水曜日

2023年7月19日ジブリ、二馬力訪問

 コロナ禍をまたいで3年5ヶ月ぶりに二馬力に宮﨑監督を訪ねた。

予めうかがっていたとおりに監督は来客の方々と歓談されていたが、挨拶した私をわざわざ席を立って迎えてくださった。握手しながら3年5ヶ月ぶりですというと、監督は「そんな細かく憶えてるのか」と笑われた。

「家の車で来ようと思ったら、ハイブリッドのバッテリーが駄目になっていて、仕事で乗ってるバンで下道を来ました」と言ったら、同席の方々からは半ばあきれ顔で驚かれたが、監督は

「いや、彼は人造人間なの。だから大丈夫なんだよ」と言われた。

その場は笑いが起きて話題は移ったが、私は内心とても嬉しかった。これまで私は監督から事あるごとにオタクと呼ばれてきたからだ。それがこのたび晴れて人造人間に昇格したのだ。



2023年7月24日月曜日

昨日異今日
今晨非来晨
心随前縁移 縁与物共新 知過則速改 執則是非真 誰能守枯株 直待霜為鬢
良寛


昨日と今日が違い、今朝と明日の朝が違うように、心も時や物事の移ろいとともに変わっていくものだから、過ちに気付いたらすぐに改めるべきだ。建前や形式にとらわれて機を逸する事の無いように、その時々にできることを臨機応変に。
二度とは起きぬ事の二たび目を老人になるまで待ち続ける人はいない。


秘境Y

 「最近、県北方面での仕事がよく来るんだけど、この前この近くの集落に行ったんだよ。そこがなんだか凄い秘境っぽいところでさ。建物がみんな古くて。で、さらに奥があるみたいだったんだけど、ちょっと行ってみていい?」 昼食を食べるところを探して走っている最中だったが、まだそれほど腹の減っ...