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2023年12月19日火曜日

並行するプロフェッショナル仕事の流儀

16日の朝、ジブリのSさんからメールをいただいた。この日の夕刻に放送される「プロフェッショナル 仕事の流儀・ジブリと宮﨑駿の2399日」についてと、NHKのAさんからの言伝てだった。

「君たちはどう生きるか」の制作ドキュメントはかねてから楽しみにしていたものの、番組に関する知らせは放送当日までまったく無かった。サプライズ告知のための緘口令は徹底していて、番組内容はSさんへも知らされる事はなかったという。

私が気がかりだったのは、夏に届けた写真は使ってもらえただろうかということ。あの写真は私の作品ではない。撮ったのは私でも、苦労して写真として見られる状態へと仕上げたのは写真館のおやじさんで、そういう意味であの写真はおやじさんの作品だ。


Sさん伝てにNHKから依頼のあった写真は、宮﨑監督と高畑監督が並んで写っている2カットだった。宮﨑監督が生前の高畑監督と一緒に写っている最後の写真というのが選ばれた理由だったが、そのうち1カットはもともと手前に座っていたSさんにピントが合っていたもので、宮﨑監督にも高畑監督へもピントは合っていなかった。ただ、両監督の表情がとても自然で良かったので、Sさんには申し訳ないけれど画像をトリミングし、両監督のカットとして使う事にしたのだった。
もちろんそのままではアウトフォーカス部だけの何処にもピントが無い画面になってしまう。そこでおやじさんの修整の技に頼ることになった。

NHKから指定されたプリントを用意するにあたっては、おやじさんの店にネガを送り、ネガの状態を見てもらった上で印画紙や焼きの調子などを相談しながら決めていった。
どういうプリントに仕上げるか固まると、おやじさんはプリントと修整作業に入った。
「1週間ほどかかるけど、いい?」というおやじさんに私は
「急ぎません。おやじさんのペースでじっくりやってください」と応えた。

それから1週間後。
「思ったよりネガ傷の直しに手がかかっちゃって・・・もう少し時間もらえる?」
「大丈夫です。ゆっくりやってください」


仕上がりには3週間以上を要した。おやじさんから出来上がりの電話をもらうと、Sさんに連絡。翌週にジブリを訪ねる事になった。

東京へはコロナ禍以来だった。

「すっかり時間が掛かっちゃって・・・」仕上がったプリントを箱から出しながらおやじさんはしきりに詫びた。

プリントは素晴らしい仕上がりだった。
数種類の紙やすりを使って注射針のように細く鋭く研いだ鉛筆で点を打ち、写真を修整する「スポッティング」。ネガ傷を消し、像の印影を整えてピントの無い画面に鑑賞者の視線の基点となる“取っ掛かり”をつくる。それとわからぬようごく僅かに、少しづつ少しづつ整えていく。気の遠くなるような作業の末、宮﨑監督の3歳年嵩、85歳のおやじさんはピンぼけだった写真を見事な写真へと仕上げた。
聞けば、老眼に苦戦して作業の途中には眼鏡を新調したそうだが、眼鏡の出来上がりまでの時間も惜しんで眼鏡店からロボットのような検眼用の眼鏡を借りて作業を進めていたという。
「片側レンズ4枚で両眼で8枚。けっこう重いもんだね」
事もなげに笑ったおやじさんだったが、仕上がりについては、
「歳で眼が利かなくなって・・・昔と比べたら、60点くらいの出来だ」と悔しそうだった。

近所の中華屋でおやじさんと昼食をとった後、プリントを持ってジブリを訪ねた。

「やあ。元気?」
宮﨑監督はわざわざ立って迎えてくださった。
「いつ以来かね?」ぐいぐいと両手で握手をしながら監督。
「3年5ヶ月ぶりです」
「ハハハ、よく憶えてるな」

写真を観た監督は、ハハハと笑ったあとで黙ってしばらくじっとプリントを観なおして、
「これ、なんか俺が偉そうじゃない?」と言われた。
「偉そうではなくて偉いんです。ですからこれでいいんです」
私は軽口を叩いたが、内心は驚いていた。プリントの調子を指定した際、私はおやじさんに「なるべく宮﨑監督の体全体をドッシリとした雰囲気に焼いてください。黒々と大きく見えるように」と指定していたのだった。おやじさんの腕前。そして監督の眼。


翌日、新潟へ帰る前に遠回りしてもう一度おやじさんの店に寄り、しばらく話をして帰途についた。80歳を越してなお干からびるほど仕事に力を注ぎ込み、結果に満足し切らない。宮﨑監督もおやじさんもよく似ているなあと道すがら思った。


番組では2カットのうち1カットが使われた。ピントの無かった方のカットは、使われなかった。「写真、出てたね」おやじさんは番組を観てとても喜んでくれた。

使われなかった方のプリントは今、私の店に飾ってある。





2023年12月13日水曜日

弁当

 朝、全粒粉食パンを焼いてメープルジャムを塗って食べた途端に強烈な懐かしさに襲われた。何だろう、なんだっけと一所懸命思い出したらバランスアップのメープル味だった。サービスセンターで即時修理をしていた時によく食べていたのだった。

当時は昼休みにカップ麺を待つ間にも修理品が入ってきた。作業を終えて休憩室に戻ると、ふやけた麺が蓋を持ち上げていた。それでバランスアップにして、やがて弁当を作るようになった。弁当は休憩室ですぐに食べられるもの。大抵はおにぎりで、時々カレーを作って持って行った。

ある時、弁当を食べようとしたら、先達の技術者Aさんから「お、カレーか。ちょっと味見させてくれよ」と言われた。どうぞと答えた途端に即時対応に呼ばれた。作業を終えて休憩室へ戻ると、テーブルに弁当は無く、流し台に洗ったタッパーが伏せてあった。

「味見って言ったじゃないですか!」と抗議すると、Aさんはこちらを振り返り、のそりと半歩前に出ると「なんだよ・・・」と低く静かに凄んだ。

袖が鬱陶しいからと空調の効いているのを良い事に制服は年中夏服で、半袖から丸太のような腕を出してノシノシと所内を歩くAさんは、ズシリとした親方・親分的な佇まいの人だった。その迫力に気おされて私は泣く泣く引き退がった。

仕事帰り、「よう、昼は悪かったな。うまかったぜ。腹減ったろ、飯行こう」とAさん。鰻をご馳走になった。

その後もAさんには度々ご馳走になった。

2022年10月20日木曜日

良寛「書して某氏に与う」を読む

・読み下し

書して某氏に与(あた)う

古に曰く 君子は物を好まずして意(こころ)を物に遇せしむとは誠なる哉(かな) それ人の意あるは 物に触れて感ずれば 則ち憂喜を発す 其れ未だ発(ほっ)せざる 之を中と謂(い)い 発して節に中(あた)る 之を中と謂う 足らざるは則(すなわ)ち及ばず 過ぐれば則ち溢れ 溢(いつ)るれば則ち流る 流れてその身を喪うに至ると 我をして細かに之を道(い)わしめんに 身を没するも尽くす能(あた)わじ 請う其の大体を道わん 陶淵明は之を菊に遇し 謝康楽は之を山水に遇し 支遁は之を馬に遇し 劉伯倫は之を酒に遇す 書に遇する者 琴に遇する者 詩に遇する者 画に遇する者 狂言に遇する者 滑稽に遇する者 或は楽しみて之を忘れ 或は好みて之を執る 古来の感 目前の徴(しるし) 了然として観るべし 何れか是なる 是非は子其焉(これ)を択べ   良寛



・あれこれ参考にしつつ、あくまで個人的に訳したもの

昔から、人徳・学識・礼節を修めた人は物を好むのではなく物の本質(作った人の思いや物の成り立ち)に心を注いでいたと言われていることの、なんと真実であることでしょうか。

もし、人にその心があれば、物に触れると憂いや喜び、豊かな感情が湧くのです。

喜びも憂いも感じない状態を「中」といい、これは心のバランスがとれている状態です。でも、喜びを感じているとしても節度を保てているのであれば、それもやっぱり「中」といえます。

心が足りないと喜びを感じることはできませんが、多過ぎると煩悩があふれ出て心のバランスが崩れ、ひとつことに執着したりあれこれと目移りしたりで気付けば時だけが流れて人生のタイムリミットが迫っているということになります。

私は、物や趣味に執着没頭するということについてここに記しています。しかしながら、そうであろうとなかろうと、人はいずれ死ぬ。このことは止められません。あなたに請われてここに書くこれが、物に執着すること趣味に没頭することの全容です。

陶淵明は菊に、謝康楽は山水に、支遁は馬に、劉伯倫は酒に、それぞれ出会い、それらに没頭して生涯を終えました。彼らの他にも書や音楽、詩や絵、お笑いや文学と出会った者たちがいました。彼らは趣味を満喫し、それらに没頭していずれ迎える死を忘れているのです。もしかしたら、趣味に没頭することで死を忘れようといるのかも知れません。

古くから言われてきていること、そして今目の前にしている物事、これらすべてをよく見定めてください。

何が正しく何が間違っているのかということは、結局はあなた自身が決め、選ぶことなのです。

良寛



良寛は僧として物や趣味に執着没頭することを、ここで戒めているのだろうか?これを読んで、良寛の生涯について読み聞いた事を思い返してみると、自分には、浮世に生きている間にこの俗世で趣味に没頭するような生き方も、それもまたありだよと言っているようにも思える。どっちであっても、答えとして選んだあなたにとってのそれが正解ですよ、と。



2021年1月3日日曜日

ヒイラギの葉

  「俺はいま、半径30メートルで暮らしてるよ」


『風立ちぬ』公開後、宮崎監督はよくそう口にしていた。

それは言う時々によって半径200メートルだったり50メートルだったりしたけれど、本質的に監督の言わんとしていることは同じだったと思う。

「それが今の俺の全世界だよ」

「スマホにくっ付いてるカメラって、あれずいぶん広角レンズだよね。あれじゃダメだよ。うんと近寄って見ないと。ものを引いて俯瞰で見てばかりだと、なんでも引いた見方・引いた考え方になっちゃう。隔ててしまうんだよそれでは。好きなものや気になるものはうんと近付いて見なきゃ。でないと、見えねぇ」

短編作品『毛虫のボロ』が完成したのはそれから3年後のことだった。

会話の中で宮崎監督の何気なく云われたことの中には、ステイホームで戸内に籠りがちな昨今の暮らしを有意義なものにするヒントが含まれているようにも思える。

ある時、宮崎監督を訪ねると、アトリエの横の植え込みに監督がしゃがみ込んでいた。私が挨拶すると、

「おー、ひさしぶり」

監督はそう言ってまた植え込みへ視線を戻した。

「ヒイラギをね。ちょっと・・・うーん」


ヒイラギの葉を一枚摘んでアトリエへ戻ると、監督はそれをテーブルの上へ置いてじっと観たり、手にとってクルクル回したり、テーブルに落としてみたりしていたが、やがて傍にあった紙と鉛筆を手元へ引き寄せて描きはじめた。

「このヒイラギの葉がさ、地面に落ちるんだよ、ハラリと。土の地面にだよ。でも小さな虫からしたらこんなデカイのが落っこちてくる訳だ、ズシーンと。どうやったら軽やかにズッシリと描けるんだろうね?」

「うーん、虫にとっても葉っぱはハラリだと思いますけど」

「と、思うだろ?違うんだよ。物理的な正確さでなく、本当らしく見えるっていう。でないと死ぬんだよ、動きがアニメにならないんだ。分からねえよな。俺もどうしようかと思ってさ・・・うーん、クソ!こんなヒイラギ描いたらカミさんに馬鹿にされるな。植物の絵は女房の方が上手いんだよ・・・うーん、ダメだこりゃ」

「監督、そろそろ帰ります。気が散るでしょう」

「気なんか散らないよ。俺は描いてるところと喋ってるところで脳の使ってるとこが違うんだから。50年描いてりゃ、話してても絵に集中するくらいな事はなんでもないんだよ」

「そうですか?でも」

「いいから。俺はまだ五時半まで時間があるんだから、君はそこへ座ってりゃ良いさ」

「じゃあそうします」

「俺はいま、半径30メートルで暮らしてるよ」


2020年10月5日月曜日

宮﨑監督の謎の技

おやつにと頂いたアップルパイが思いのほかサクサクで食べるのに苦戦した。 

ボロボロ生地の剥がれるパイを食べていたら、以前、宮﨑監督のアトリエにシナモンロールを土産に持ってうかがった時の事を思い出した。



いつものようにあれこれ話をしてひと息ついた時、「せっかくだからこれ食おう」と、監督はシナモンロールの箱を開けた。

淹れなおしたコーヒーを前に、カウンターで食べ始めたものの、すぐに他の菓子を選ぶべきだったと後悔した。サクサクのデニッシュ生地や砂糖が剥がれてこぼれる。

「ははは、ボロボロだなあ」

監督に笑われた私は、カウンターにどんどんこぼれて行くシナモンロールのなれの果てを手で集めながら、

「すみません。食べたら、ここ拭きますんで・・・」

謝りつつ顔をあげて見ると、そこには片手にカップを、もう一方の手にシナモンロールから剥がした紙を丸めて持ち、涼しい顔でコーヒーを飲む巨匠・宮﨑駿がいた。

シナモンロールは既にどこにも、影も形もなかった。

「いつ抜いたか、いつ斬ったか」は、子母澤寛の「座頭市」の有名な一節だが、宮﨑監督はあの大きなシナモンロールをこの数秒のうちに食べたのだろうか。
さらに驚くべきは、監督の前のカウンター上にも髭にも、どこにもシナモンロールのかけら一つ付いていない事だった。 

「監督、どうやって食べたんですか?」

「ええ?そりゃ普通に食ったよ」

静かに笑う巨匠を見て、私は「千と千尋の神隠し」でカオナシが番台蛙をひと呑みにするシーンを思い出した。

2020年7月7日火曜日

ポピーとよさかにて

帰り道、小腹が空いたので、新新バイパスの競馬場インターで旧道へ降りた。

旧街道沿いにあるドライブイン「ポピーとよさか」には古色蒼然たるうどんの自動販売機が今なお稼働している。

昔懐かしい自動販売機のうどん。給食のソフト麺みたいな麺は美味すぎないあんばいの良さでほっとひと息つかせてくれる。

店の一隅に文化財のような顔で据わっている自販機へ百円玉を3つ入れてボタンを押すと、古すぎて懐かしさよりも新鮮さを感じさせる光電管の文字がオレンジ色に灯って、実際の時間よりも早く30秒をカウントダウンする。

ややフライング気味に、ゼロまで数秒をのこして「チーン!」
出来上がりを知らせるベルの音も電子音ではなく本物のベルの音だ。

うどんもそばも、店内の厨房で洗って再利用される黄色いフニャフニャした器に満杯の状態で出てくる。狭い取り出し口に付いているアルミ製の落とし戸が強いバネで押されているので、柔らかい器いっぱいの熱いつゆをこぼさず取り出すにはそれなりの習熟度を要する。

注意深く取り出したうどんを、潔癖症の人が逃げ出しそうなペタペタしたテーブルにそっと置いたら、自販機に向きなおって箸入れから割り箸を引き出し、横のテーブルにふたつ行ってしまっている七味の容器をひとつ取り戻してから、座ってまずはつゆをひと口。

あれ?

つゆが薄い。というか塩気がまるで無い。色も無色透明。これはお湯だ。

「すみません」

店の奥にある厨房へ行って、出来損ないのうどんと引き換えに店のオヤジさんから百円玉を3つ受け取る。

「もう一回やってみて。駄目だったらまた返金するから」と店のオヤジさん。

うどんをもう一杯。「チーン!」

「ん・・・ああ、お湯だ!」

「また駄目?」

「いや、いいや。オヤジさん、醤油あります?これにかけて食べる。麺もかき揚げも何杯ももったいないから」

「そう?醤油あるよ。あるけど、つゆもあるよ」

「あ、つゆある?」

「そこ(自販機)に使うやつだから濃いけど、あんばいすれば」
と、業務用の大きな容器を奥から出してきてくれた。

容器の蓋を開けて、ほんのひと垂らしばかり器にチョロリと注ぐと、透明だったうどんの汁が途端に褐色になった。一体何倍濃縮のつゆなのだろう。

ひと口すすってみて、「あ、美味い。OK、今度OK」

「そう?いい?ゴメンね」

無事にうどんを食べて、帰途についた。また食べに行こう。


2020年3月31日火曜日

サルマタ

2月の半ば頃、4か月振りでジブリに宮崎監督を訪ねた。

「やあ、しばらく。元気だった?」

   「ええ、おかげさまでどうにか生きてます」

「ははは。よし、コーヒーだ。Sさん、行こう。おーい、Yさんも。コーヒー!」

   「しかし、なんだかおかしな事になって来ましたね」

「ああ、まあねえ・・・ナウシカみたいにみんなマスクして暮らさなきゃいけなくなるのかな。幸いこの辺はまだなんともないけど」

(この数日後、三鷹の森ジブリ美術館は臨時休館を発表する)

「こっち、ここ座るの」

   「あ、火鉢がある」

「お、来た。はい」

   「おお!でっかいマグカップ」

「うまいんだよ、ここのコーヒー」

   「いただきます」

「どう?商売は」

   「いやあ、厳しいですよ。不景気で。消費税も上がりましたし」

「店はどんな感じ?」

   「もう古いものだらけガラクタだらけですよ」

「サルマタなんか干してないの?」

           「宮﨑さん、サルマタは干さないでしょ」

「干してない?」

   「うーん、さすがにサルマタは」

「なんだあ、つまんないなあ」



2020年3月27日金曜日

宮﨑監督の荒療治

「何が混乱だ。誰が混乱するんだ。誰が混乱するって言ったんだ!何が混乱するんだ!休んでしまった方が混乱だよ、それが!」

コピペ出来るほど有名になった宮﨑監督の怒声。

これは、かつて放送されたドキュメント番組の一場面で、311震災直後に混乱を防ぐためスタジオを一時休業にするというジブリ経営陣の判断を伝えられた際に監督の発した言葉だ。

インパクトのある言葉なので様々に解釈されたりネタにされたりしているけれど、本当のところは突然普段のいつも通りの暮らしが瓦解して平常心を失いそうになった時、仕事なり家事なり、とりあえず形だけでも普段のルーティンをなぞる事で揺らいだ腹を据え直すという事だと思う。

以前、311震災の時どうしていたか宮﨑監督と話した中で私はそう感じた。

当の監督自身も実のところは文字通り足元を揺らされたものの、周囲を見て、自分はこれではいけないと腹を据え直したのだろう。

「あのとき俺は二馬力の2階に居たんだけどさ、グラグラっと来たんで、あ、これはいかんと思って、とりあえず本棚が倒れないようにしがみついたんだ。揺れがおさまってから見たら、棚の上、耐震の突っ張り棒付いてんだよ 」

はじめは監督もけっこう慌てていたのだ。

こんなことを思い出して書いたのも、今回のコロナ禍で諸々報じられる中で自分がふだんどおりから離れそうな心持ちだからかも知れない。

結局のところ、いつもどおりに仕事をするしかない。それで自分の腹も据わるし、ごく狭い、自分の周囲くらいは度が保たれるかも知れない。

宮﨑監督の“荒療治” 、今こんな時だからこそ実践してみる価値は大いにあると思う。

2020年1月15日水曜日

憶えておくべきこと

その人は、ごみ拾いをしながら散歩するのを毎朝の日課にしている。

その日もいつも通りに雑木林の遊歩道を歩いていると、向こうに誰かいるのが見えたのだという。



歩道から少し入ったところで、男性が立ち樹を背に座り込んでいた。

「二十歳くらいかな。若いんだ。若者だよ」と、その人は言った。

男性の横にロープが落ちていた。

「大丈夫か?」

「はい」

「立てるか?」

「はい」

その人は男性を立ち上がらせると、服のよごれを払ってやった。

「歩けるか?」

「はい」

その人は男性と一緒に歩いて雑木林を出ると、林の出口のところで彼と別れたのだと言った。そして、そこまで私に話すと、

「なんなんだろうねえ・・・俺には分かんないよ」

と言ったきり黙って、窓の方を向いて立て続けに煙草の煙を吐き出した。

「元気でいるといいけどなあ」



2019年12月27日金曜日

コルビュジェの丸窓

宮﨑監督は建物好きだ。

ある時、スタジオ近くの武蔵境変電所の建物が面白いから観に行こうと誘われて、監督とスタッフの方と数人で歩いて観に行った。

白い外壁が夕陽に照らされてオレンジ色になった変電所の建物はたしかに個性的な格好をしていた。

「ほら、この感じ!手塚治虫の漫画に出てくる感じだろ?」と監督。

「ちょっとコルビュジェっぽい感じもしますね」と私が言うと、宮﨑監督は「いや、しない!しないよ!コルビュジェに失礼だよそりゃ」と大きくかぶりを振って真っ向から断じた。

「そうかなあ・・・あそこのところがピロティみたいに・・・」

「いや、見えない!別もの!」

監督はコルビュジェが大好きだ。散歩中に見つけたコルビュジェ的な丸窓の建物の話では、絵を描きながらつぶさに解説してくださったし、ジブリ第1スタジオの窓が丸いのもコルビュジェの真似だという。

ただ、私はコルビュジェの建築で丸窓の特徴的な建物というのはちょっと知らない。

2019年12月22日日曜日

「心理テストです」と

「町はずれに住む悪い魔女は、町の人びとから畏れられ忌み嫌われていましたが、ある時改心しました。さて、魔女はその後どうなったと思いますか?」

問われて私は、

「ええと・・・心を入れ替えて困ってる人のために魔法の力を使ったりして人びとに尽くしたけど、そういうとこはまったく理解されないまま、最後はズタボロの八つ裂きにされる。結局どうしたって『あいつは魔女だ!』ってことで、そういう不理解な連中に。・・・これ何が分かるの?」と答えた。

「・・・“これはあなたの将来です” だそうです」

「・・・」

「いや、でもならないですよ、本当の八つ裂きには。現代だし、なんていうかものの喩えで、八つ裂きって言っても社会的に、みたいな意味合いで・・・」

「社会的に八つ裂き?」

「社会的に八つ裂き」

「社会的に八つ裂き・・・」

2019年11月26日火曜日

雨天

「だからさ、撃つ方だって命懸けだったんだよ」
宮﨑監督は煙草を持ったまま腕組みしようとして、おっと、という風にちょっと手を泳がせた。

初期の火縄銃が、いかに危なっかしく不完全な兵器だったか。瀬戸内の松林の話は、いつの間にか鉄砲の話になっていた。

「ここから撃ってあそこの白い建物、あの壁のどこかに当たれば上出来。狙って当たる距離は50mぐらいだったはずだよ。真っ直ぐ飛ばない。外したら今度は自分がやられる・・・」


英国の愛好家がマスケット銃で3発撃ったら耳から血が出たとか、そんな事を話しているうちに、監督はシガレットケースの煙草を残らず吸い切ってしまった。

「煙草・・・」

呟きながら監督はズボンのポケットからクシャクシャになったハイライトの袋を出して、中身のないのを確認すると雨の降っている窓の外をチラッと見て

「めんどくせ」

やにわにカウンターの灰皿に手を伸ばして、吸い殻を伸ばし始めた。

シケモクに火を点ける監督の動きは次元大介そのものだった。

アトリエ二馬力にて

「ダメだね。これはやめよう」

宮﨑監督はそう言うと、目の前のバケツでジュッと煙草の火を消した。
吸い殻をくの字に折って脇の灰皿に置くと、描いていた絵を横へやって、描きなおすコマに合わせて新しい紙を切りはじめた。

「紙もここ何年かで急に質が悪くなったよ。30年以上使ってきた紙が最近は描いてて滲むんだよ、前はそんなことなかったのに。代わりの紙を探してさ、これ1枚300円もするんだぜ、嫌んなっちゃうよ。でも鉛筆は変わらないね。日本の鉛筆は素晴らしいよ」

そう言いながら監督はふたたび描き始めた。

すうっ・・・すうっ・・・と鉛筆の重さだけで撫でるように薄い薄い線を引いているうち、手品のように小舟と漕ぎ手と遠景とがきわめて短時間で描き上げられた。

鉛筆をおくと、水彩絵の具で彩色。

ちきしょう・・・と低く毒づいて、割れた筆の先を噛んで整えて塗る。

「くそ、見えねぇ・・・はあ・・・やだね」老眼鏡を外して、ごしごし眼をこすって、筆を洗い再び塗る。筆の先を噛む。塗る。筆を洗う。

監督が筆を洗っているのは、さっき煙草を突っ込んでいたバケツの水だ。

2019年11月25日月曜日

ミトコンドリア



週に何度か、暮れ方に走っている。健康志向が一般化したからか、最近は中高年の人たちもさかんに運動している。

先日、いつものように走っていたら、横一列になって陽気に話しながらウォーキングしているおばさん達と出くわしたが、すれ違うときに話していた内容が聞こえた。

「ねえ~、やっぱり身体を動かすのはミトコンドリアに良いから・・・」

ミトコンドリア。

90年代の映画で「パラサイト・イブ」というのがあったが、この単語を耳にしたのはその時以来かも知れない。

生物の授業で習ったように思うが思い出せない。細胞の中にある何かだったか、ミドリムシやゾウリムシのような、緑色をした微生物かアメーバ的なものをイメージする程度だ。
調べてみるほどでもない。なにしろ今までミトコンドリアで困った事がないのだ。

それにしても、ミトコンドリアを意識してウォーキングに精を出すおばさん達に比べて、何も考えずただ走っている自分は。

蓄音機の落書き

 スピーカーとアンプを土産に宮﨑監督を訪ねた折のこと。 帰り際に監督が「これ」と言って封筒を差し出した。 「なんですか?」 「それで一杯飲みなよ」 見ると、『お礼』と書かれている。上には朝顔蓄音機の絵が。 「駄目ですよ。土産の礼金なんて聞いたことないですよ。それに一杯どころじゃな...