2023年12月19日火曜日
並行するプロフェッショナル仕事の流儀
2023年12月13日水曜日
弁当
朝、全粒粉食パンを焼いてメープルジャムを塗って食べた途端に強烈な懐かしさに襲われた。何だろう、なんだっけと一所懸命思い出したらバランスアップのメープル味だった。サービスセンターで即時修理をしていた時によく食べていたのだった。
当時は昼休みにカップ麺を待つ間にも修理品が入ってきた。作業を終えて休憩室に戻ると、ふやけた麺が蓋を持ち上げていた。それでバランスアップにして、やがて弁当を作るようになった。弁当は休憩室ですぐに食べられるもの。大抵はおにぎりで、時々カレーを作って持って行った。
ある時、弁当を食べようとしたら、先達の技術者Aさんから「お、カレーか。ちょっと味見させてくれよ」と言われた。どうぞと答えた途端に即時対応に呼ばれた。作業を終えて休憩室へ戻ると、テーブルに弁当は無く、流し台に洗ったタッパーが伏せてあった。
「味見って言ったじゃないですか!」と抗議すると、Aさんはこちらを振り返り、のそりと半歩前に出ると「なんだよ・・・」と低く静かに凄んだ。
袖が鬱陶しいからと空調の効いているのを良い事に制服は年中夏服で、半袖から丸太のような腕を出してノシノシと所内を歩くAさんは、ズシリとした親方・親分的な佇まいの人だった。その迫力に気おされて私は泣く泣く引き退がった。
仕事帰り、「よう、昼は悪かったな。うまかったぜ。腹減ったろ、飯行こう」とAさん。鰻をご馳走になった。
その後もAさんには度々ご馳走になった。
2022年10月20日木曜日
良寛「書して某氏に与う」を読む
・読み下し
書して某氏に与(あた)う
古に曰く 君子は物を好まずして意(こころ)を物に遇せしむとは誠なる哉(かな) それ人の意あるは 物に触れて感ずれば 則ち憂喜を発す 其れ未だ発(ほっ)せざる 之を中と謂(い)い 発して節に中(あた)る 之を中と謂う 足らざるは則(すなわ)ち及ばず 過ぐれば則ち溢れ 溢(いつ)るれば則ち流る 流れてその身を喪うに至ると 我をして細かに之を道(い)わしめんに 身を没するも尽くす能(あた)わじ 請う其の大体を道わん 陶淵明は之を菊に遇し 謝康楽は之を山水に遇し 支遁は之を馬に遇し 劉伯倫は之を酒に遇す 書に遇する者 琴に遇する者 詩に遇する者 画に遇する者 狂言に遇する者 滑稽に遇する者 或は楽しみて之を忘れ 或は好みて之を執る 古来の感 目前の徴(しるし) 了然として観るべし 何れか是なる 是非は子其焉(これ)を択べ 良寛
・
・あれこれ参考にしつつ、あくまで個人的に訳したもの
昔から、人徳・学識・礼節を修めた人は物を好むのではなく物の本質(作った人の思いや物の成り立ち)に心を注いでいたと言われていることの、なんと真実であることでしょうか。
もし、人にその心があれば、物に触れると憂いや喜び、豊かな感情が湧くのです。
喜びも憂いも感じない状態を「中」といい、これは心のバランスがとれている状態です。でも、喜びを感じているとしても節度を保てているのであれば、それもやっぱり「中」といえます。
心が足りないと喜びを感じることはできませんが、多過ぎると煩悩があふれ出て心のバランスが崩れ、ひとつことに執着したりあれこれと目移りしたりで気付けば時だけが流れて人生のタイムリミットが迫っているということになります。
私は、物や趣味に執着没頭するということについてここに記しています。しかしながら、そうであろうとなかろうと、人はいずれ死ぬ。このことは止められません。あなたに請われてここに書くこれが、物に執着すること趣味に没頭することの全容です。
陶淵明は菊に、謝康楽は山水に、支遁は馬に、劉伯倫は酒に、それぞれ出会い、それらに没頭して生涯を終えました。彼らの他にも書や音楽、詩や絵、お笑いや文学と出会った者たちがいました。彼らは趣味を満喫し、それらに没頭していずれ迎える死を忘れているのです。もしかしたら、趣味に没頭することで死を忘れようといるのかも知れません。
古くから言われてきていること、そして今目の前にしている物事、これらすべてをよく見定めてください。
何が正しく何が間違っているのかということは、結局はあなた自身が決め、選ぶことなのです。
良寛
・
良寛は僧として物や趣味に執着没頭することを、ここで戒めているのだろうか?これを読んで、良寛の生涯について読み聞いた事を思い返してみると、自分には、浮世に生きている間にこの俗世で趣味に没頭するような生き方も、それもまたありだよと言っているようにも思える。どっちであっても、答えとして選んだあなたにとってのそれが正解ですよ、と。
2021年1月3日日曜日
ヒイラギの葉
「俺はいま、半径30メートルで暮らしてるよ」
『風立ちぬ』公開後、宮崎監督はよくそう口にしていた。
それは言う時々によって半径200メートルだったり50メートルだったりしたけれど、本質的に監督の言わんとしていることは同じだったと思う。
「それが今の俺の全世界だよ」
・
「スマホにくっ付いてるカメラって、あれずいぶん広角レンズだよね。あれじゃダメだよ。うんと近寄って見ないと。ものを引いて俯瞰で見てばかりだと、なんでも引いた見方・引いた考え方になっちゃう。隔ててしまうんだよそれでは。好きなものや気になるものはうんと近付いて見なきゃ。でないと、見えねぇ」
短編作品『毛虫のボロ』が完成したのはそれから3年後のことだった。
・
会話の中で宮崎監督の何気なく云われたことの中には、ステイホームで戸内に籠りがちな昨今の暮らしを有意義なものにするヒントが含まれているようにも思える。
・
ある時、宮崎監督を訪ねると、アトリエの横の植え込みに監督がしゃがみ込んでいた。私が挨拶すると、
「おー、ひさしぶり」
監督はそう言ってまた植え込みへ視線を戻した。
「ヒイラギをね。ちょっと・・・うーん」
ヒイラギの葉を一枚摘んでアトリエへ戻ると、監督はそれをテーブルの上へ置いてじっと観たり、手にとってクルクル回したり、テーブルに落としてみたりしていたが、やがて傍にあった紙と鉛筆を手元へ引き寄せて描きはじめた。
「このヒイラギの葉がさ、地面に落ちるんだよ、ハラリと。土の地面にだよ。でも小さな虫からしたらこんなデカイのが落っこちてくる訳だ、ズシーンと。どうやったら軽やかにズッシリと描けるんだろうね?」
「うーん、虫にとっても葉っぱはハラリだと思いますけど」
「と、思うだろ?違うんだよ。物理的な正確さでなく、本当らしく見えるっていう。でないと死ぬんだよ、動きがアニメにならないんだ。分からねえよな。俺もどうしようかと思ってさ・・・うーん、クソ!こんなヒイラギ描いたらカミさんに馬鹿にされるな。植物の絵は女房の方が上手いんだよ・・・うーん、ダメだこりゃ」
「監督、そろそろ帰ります。気が散るでしょう」
「気なんか散らないよ。俺は描いてるところと喋ってるところで脳の使ってるとこが違うんだから。50年描いてりゃ、話してても絵に集中するくらいな事はなんでもないんだよ」
「そうですか?でも」
「いいから。俺はまだ五時半まで時間があるんだから、君はそこへ座ってりゃ良いさ」
「じゃあそうします」
「俺はいま、半径30メートルで暮らしてるよ」
2020年10月5日月曜日
宮﨑監督の謎の技
おやつにと頂いたアップルパイが思いのほかサクサクで食べるのに苦戦した。
ボロボロ生地の剥がれるパイを食べていたら、以前、宮﨑監督のアトリエにシナモンロールを土産に持ってうかがった時の事を思い出した。淹れなおしたコーヒーを前に、カウンターで食べ始めたものの、すぐに他の菓子を選ぶべきだったと後悔した。サクサクのデニッシュ生地や砂糖が剥がれてこぼれる。
「ははは、ボロボロだなあ」
監督に笑われた私は、カウンターにどんどんこぼれて行くシナモンロールのなれの果てを手で集めながら、
「すみません。食べたら、ここ拭きますんで・・・」
謝りつつ顔をあげて見ると、そこには片手にカップを、もう一方の手にシナモンロールから剥がした紙を丸めて持ち、涼しい顔でコーヒーを飲む巨匠・宮﨑駿がいた。
「いつ抜いたか、いつ斬ったか」は、子母澤寛の「座頭市」の有名な一節だが、宮﨑監督はあの大きなシナモンロールをこの数秒のうちに食べたのだろうか。
さらに驚くべきは、監督の前のカウンター上にも髭にも、どこにもシナモンロールのかけら一つ付いていない事だった。
「監督、どうやって食べたんですか?」
「ええ?そりゃ普通に食ったよ」
静かに笑う巨匠を見て、私は「千と千尋の神隠し」でカオナシが番台蛙をひと呑みにするシーンを思い出した。
2020年7月7日火曜日
ポピーとよさかにて
と、業務用の大きな容器を奥から出してきてくれた。
2020年3月31日火曜日
サルマタ
「やあ、しばらく。元気だった?」
「ええ、おかげさまでどうにか生きてます」
「ははは。よし、コーヒーだ。Sさん、行こう。おーい、Yさんも。コーヒー!」
「しかし、なんだかおかしな事になって来ましたね」
「ああ、まあねえ・・・ナウシカみたいにみんなマスクして暮らさなきゃいけなくなるのかな。幸いこの辺はまだなんともないけど」
(この数日後、三鷹の森ジブリ美術館は臨時休館を発表する)
「こっち、ここ座るの」
「あ、火鉢がある」
「お、来た。はい」
「おお!でっかいマグカップ」
「うまいんだよ、ここのコーヒー」
「いただきます」
「どう?商売は」
「いやあ、厳しいですよ。不景気で。消費税も上がりましたし」
「店はどんな感じ?」
「もう古いものだらけガラクタだらけですよ」
「サルマタなんか干してないの?」
「宮﨑さん、サルマタは干さないでしょ」
「干してない?」
「うーん、さすがにサルマタは」
「なんだあ、つまんないなあ」
2020年3月27日金曜日
宮﨑監督の荒療治
コピペ出来るほど有名になった宮﨑監督の怒声。
これは、かつて放送されたドキュメント番組の一場面で、311震災直後に混乱を防ぐためスタジオを一時休業にするというジブリ経営陣の判断を伝えられた際に監督の発した言葉だ。
インパクトのある言葉なので様々に解釈されたりネタにされたりしているけれど、本当のところは突然普段のいつも通りの暮らしが瓦解して平常心を失いそうになった時、仕事なり家事なり、とりあえず形だけでも普段のルーティンをなぞる事で揺らいだ腹を据え直すという事だと思う。
以前、311震災の時どうしていたか宮﨑監督と話した中で私はそう感じた。
当の監督自身も実のところは文字通り足元を揺らされたものの、周囲を見て、自分はこれではいけないと腹を据え直したのだろう。
「あのとき俺は二馬力の2階に居たんだけどさ、グラグラっと来たんで、あ、これはいかんと思って、とりあえず本棚が倒れないようにしがみついたんだ。揺れがおさまってから見たら、棚の上、耐震の突っ張り棒付いてんだよ 」
はじめは監督もけっこう慌てていたのだ。
こんなことを思い出して書いたのも、今回のコロナ禍で諸々報じられる中で自分がふだんどおりから離れそうな心持ちだからかも知れない。
結局のところ、いつもどおりに仕事をするしかない。それで自分の腹も据わるし、ごく狭い、自分の周囲くらいは度が保たれるかも知れない。
宮﨑監督の“荒療治” 、今こんな時だからこそ実践してみる価値は大いにあると思う。
2020年1月15日水曜日
憶えておくべきこと
歩道から少し入ったところで、男性が立ち樹を背に座り込んでいた。
「二十歳くらいかな。若いんだ。若者だよ」と、その人は言った。
男性の横にロープが落ちていた。
「大丈夫か?」
「はい」
「立てるか?」
「はい」
その人は男性を立ち上がらせると、服のよごれを払ってやった。
「歩けるか?」
「はい」
その人は男性と一緒に歩いて雑木林を出ると、林の出口のところで彼と別れたのだと言った。そして、そこまで私に話すと、
「なんなんだろうねえ・・・俺には分かんないよ」
と言ったきり黙って、窓の方を向いて立て続けに煙草の煙を吐き出した。
「元気でいるといいけどなあ」
2019年12月27日金曜日
コルビュジェの丸窓
2019年12月22日日曜日
「心理テストです」と
「ええと・・・心を入れ替えて困ってる人のために魔法の力を使ったりして人びとに尽くしたけど、そういうとこはまったく理解されないまま、最後はズタボロの八つ裂きにされる。結局どうしたって『あいつは魔女だ!』ってことで、そういう不理解な連中に。・・・これ何が分かるの?」と答えた。
「・・・“これはあなたの将来です” だそうです」
「・・・」
「いや、でもならないですよ、本当の八つ裂きには。現代だし、なんていうかものの喩えで、八つ裂きって言っても社会的に、みたいな意味合いで・・・」
「社会的に八つ裂き?」
「社会的に八つ裂き」
「社会的に八つ裂き・・・」
2019年11月26日火曜日
雨天
「だからさ、撃つ方だって命懸けだったんだよ」
宮﨑監督は煙草を持ったまま腕組みしようとして、おっと、という風にちょっと手を泳がせた。
初期の火縄銃が、いかに危なっかしく不完全な兵器だったか。瀬戸内の松林の話は、いつの間にか鉄砲の話になっていた。
「ここから撃ってあそこの白い建物、あの壁のどこかに当たれば上出来。狙って当たる距離は50mぐらいだったはずだよ。真っ直ぐ飛ばない。外したら今度は自分がやられる・・・」
英国の愛好家がマスケット銃で3発撃ったら耳から血が出たとか、そんな事を話しているうちに、監督はシガレットケースの煙草を残らず吸い切ってしまった。
「煙草・・・」
呟きながら監督はズボンのポケットからクシャクシャになったハイライトの袋を出して、中身のないのを確認すると雨の降っている窓の外をチラッと見て
「めんどくせ」
やにわにカウンターの灰皿に手を伸ばして、吸い殻を伸ばし始めた。
シケモクに火を点ける監督の動きは次元大介そのものだった。
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アトリエ二馬力にて
「ダメだね。これはやめよう」
宮﨑監督はそう言うと、目の前のバケツでジュッと煙草の火を消した。
吸い殻をくの字に折って脇の灰皿に置くと、描いていた絵を横へやって、描きなおすコマに合わせて新しい紙を切りはじめた。
「紙もここ何年かで急に質が悪くなったよ。30年以上使ってきた紙が最近は描いてて滲むんだよ、前はそんなことなかったのに。代わりの紙を探してさ、これ1枚300円もするんだぜ、嫌んなっちゃうよ。でも鉛筆は変わらないね。日本の鉛筆は素晴らしいよ」
そう言いながら監督はふたたび描き始めた。
すうっ・・・すうっ・・・と鉛筆の重さだけで撫でるように薄い薄い線を引いているうち、手品のように小舟と漕ぎ手と遠景とがきわめて短時間で描き上げられた。 鉛筆をおくと、水彩絵の具で彩色。
ちきしょう・・・と低く毒づいて、割れた筆の先を噛んで整えて塗る。
「くそ、見えねぇ・・・はあ・・・やだね」老眼鏡を外して、ごしごし眼をこすって、筆を洗い再び塗る。筆の先を噛む。塗る。筆を洗う。
監督が筆を洗っているのは、さっき煙草を突っ込んでいたバケツの水だ。
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2019年11月25日月曜日
ミトコンドリア
週に何度か、暮れ方に走っている。健康志向が一般化したからか、最近は中高年の人たちもさかんに運動している。
先日、いつものように走っていたら、横一列になって陽気に話しながらウォーキングしているおばさん達と出くわしたが、すれ違うときに話していた内容が聞こえた。
「ねえ~、やっぱり身体を動かすのはミトコンドリアに良いから・・・」
ミトコンドリア。
90年代の映画で「パラサイト・イブ」というのがあったが、この単語を耳にしたのはその時以来かも知れない。
生物の授業で習ったように思うが思い出せない。細胞の中にある何かだったか、ミドリムシやゾウリムシのような、緑色をした微生物かアメーバ的なものをイメージする程度だ。
調べてみるほどでもない。なにしろ今までミトコンドリアで困った事がないのだ。
それにしても、ミトコンドリアを意識してウォーキングに精を出すおばさん達に比べて、何も考えずただ走っている自分は。
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蓄音機の落書き
スピーカーとアンプを土産に宮﨑監督を訪ねた折のこと。 帰り際に監督が「これ」と言って封筒を差し出した。 「なんですか?」 「それで一杯飲みなよ」 見ると、『お礼』と書かれている。上には朝顔蓄音機の絵が。 「駄目ですよ。土産の礼金なんて聞いたことないですよ。それに一杯どころじゃな...
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・読み下し 書して某氏に与(あた)う 古に曰く 君子は物を好まずして意(こころ)を物に遇せしむとは誠なる哉(かな) それ人の意あるは 物に触れて感ずれば 則ち憂喜を発す 其れ未だ発(ほっ)せざる 之を中と謂(い)い 発して節に中(あた)る 之を中と謂う 足らざるは則(すなわ)ち及...
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スピーカーとアンプを土産に宮﨑監督を訪ねた折のこと。 帰り際に監督が「これ」と言って封筒を差し出した。 「なんですか?」 「それで一杯飲みなよ」 見ると、『お礼』と書かれている。上には朝顔蓄音機の絵が。 「駄目ですよ。土産の礼金なんて聞いたことないですよ。それに一杯どころじゃな...
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宮﨑監督は建物好きだ。 ある時、スタジオ近くの武蔵境変電所の建物が面白いから観に行こうと誘われて、監督とスタッフの方と数人で歩いて観に行った。 白い外壁が夕陽に照らされてオレンジ色になった変電所の建物はたしかに個性的な格好をしていた。 「ほら、この感じ!手...


