2023年12月19日火曜日

並行するプロフェッショナル仕事の流儀

16日の朝、ジブリのSさんからメールをいただいた。この日の夕刻に放送される「プロフェッショナル 仕事の流儀・ジブリと宮﨑駿の2399日」についてと、NHKのAさんからの言伝てだった。

「君たちはどう生きるか」の制作ドキュメントはかねてから楽しみにしていたものの、番組に関する知らせは放送当日までまったく無かった。サプライズ告知のための緘口令は徹底していて、番組内容はSさんへも知らされる事はなかったという。

私が気がかりだったのは、夏に届けた写真は使ってもらえただろうかということ。あの写真は私の作品ではない。撮ったのは私でも、苦労して写真として見られる状態へと仕上げたのは写真館のおやじさんで、そういう意味であの写真はおやじさんの作品だ。


Sさん伝てにNHKから依頼のあった写真は、宮﨑監督と高畑監督が並んで写っている2カットだった。宮﨑監督が生前の高畑監督と一緒に写っている最後の写真というのが選ばれた理由だったが、そのうち1カットはもともと手前に座っていたSさんにピントが合っていたもので、宮﨑監督にも高畑監督へもピントは合っていなかった。ただ、両監督の表情がとても自然で良かったので、Sさんには申し訳ないけれど画像をトリミングし、両監督のカットとして使う事にしたのだった。
もちろんそのままではアウトフォーカス部だけの何処にもピントが無い画面になってしまう。そこでおやじさんの修整の技に頼ることになった。

NHKから指定されたプリントを用意するにあたっては、おやじさんの店にネガを送り、ネガの状態を見てもらった上で印画紙や焼きの調子などを相談しながら決めていった。
どういうプリントに仕上げるか固まると、おやじさんはプリントと修整作業に入った。
「1週間ほどかかるけど、いい?」というおやじさんに私は
「急ぎません。おやじさんのペースでじっくりやってください」と応えた。

それから1週間後。
「思ったよりネガ傷の直しに手がかかっちゃって・・・もう少し時間もらえる?」
「大丈夫です。ゆっくりやってください」


仕上がりには3週間以上を要した。おやじさんから出来上がりの電話をもらうと、Sさんに連絡。翌週にジブリを訪ねる事になった。

東京へはコロナ禍以来だった。

「すっかり時間が掛かっちゃって・・・」仕上がったプリントを箱から出しながらおやじさんはしきりに詫びた。

プリントは素晴らしい仕上がりだった。
数種類の紙やすりを使って注射針のように細く鋭く研いだ鉛筆で点を打ち、写真を修整する「スポッティング」。ネガ傷を消し、像の印影を整えてピントの無い画面に鑑賞者の視線の基点となる“取っ掛かり”をつくる。それとわからぬようごく僅かに、少しづつ少しづつ整えていく。気の遠くなるような作業の末、宮﨑監督の3歳年嵩、85歳のおやじさんはピンぼけだった写真を見事な写真へと仕上げた。
聞けば、老眼に苦戦して作業の途中には眼鏡を新調したそうだが、眼鏡の出来上がりまでの時間も惜しんで眼鏡店からロボットのような検眼用の眼鏡を借りて作業を進めていたという。
「片側レンズ4枚で両眼で8枚。けっこう重いもんだね」
事もなげに笑ったおやじさんだったが、仕上がりについては、
「歳で眼が利かなくなって・・・昔と比べたら、60点くらいの出来だ」と悔しそうだった。

近所の中華屋でおやじさんと昼食をとった後、プリントを持ってジブリを訪ねた。

「やあ。元気?」
宮﨑監督はわざわざ立って迎えてくださった。
「いつ以来かね?」ぐいぐいと両手で握手をしながら監督。
「3年5ヶ月ぶりです」
「ハハハ、よく憶えてるな」

写真を観た監督は、ハハハと笑ったあとで黙ってしばらくじっとプリントを観なおして、
「これ、なんか俺が偉そうじゃない?」と言われた。
「偉そうではなくて偉いんです。ですからこれでいいんです」
私は軽口を叩いたが、内心は驚いていた。プリントの調子を指定した際、私はおやじさんに「なるべく宮﨑監督の体全体をドッシリとした雰囲気に焼いてください。黒々と大きく見えるように」と指定していたのだった。おやじさんの腕前。そして監督の眼。


翌日、新潟へ帰る前に遠回りしてもう一度おやじさんの店に寄り、しばらく話をして帰途についた。80歳を越してなお干からびるほど仕事に力を注ぎ込み、結果に満足し切らない。宮﨑監督もおやじさんもよく似ているなあと道すがら思った。


番組では2カットのうち1カットが使われた。ピントの無かった方のカットは、使われなかった。「写真、出てたね」おやじさんは番組を観てとても喜んでくれた。

使われなかった方のプリントは今、私の店に飾ってある。





2023年12月13日水曜日

弁当

 朝、全粒粉食パンを焼いてメープルジャムを塗って食べた途端に強烈な懐かしさに襲われた。何だろう、なんだっけと一所懸命思い出したらバランスアップのメープル味だった。サービスセンターで即時修理をしていた時によく食べていたのだった。

当時は昼休みにカップ麺を待つ間にも修理品が入ってきた。作業を終えて休憩室に戻ると、ふやけた麺が蓋を持ち上げていた。それでバランスアップにして、やがて弁当を作るようになった。弁当は休憩室ですぐに食べられるもの。大抵はおにぎりで、時々カレーを作って持って行った。

ある時、弁当を食べようとしたら、先達の技術者Aさんから「お、カレーか。ちょっと味見させてくれよ」と言われた。どうぞと答えた途端に即時対応に呼ばれた。作業を終えて休憩室へ戻ると、テーブルに弁当は無く、流し台に洗ったタッパーが伏せてあった。

「味見って言ったじゃないですか!」と抗議すると、Aさんはこちらを振り返り、のそりと半歩前に出ると「なんだよ・・・」と低く静かに凄んだ。

袖が鬱陶しいからと空調の効いているのを良い事に制服は年中夏服で、半袖から丸太のような腕を出してノシノシと所内を歩くAさんは、ズシリとした親方・親分的な佇まいの人だった。その迫力に気おされて私は泣く泣く引き退がった。

仕事帰り、「よう、昼は悪かったな。うまかったぜ。腹減ったろ、飯行こう」とAさん。鰻をご馳走になった。

その後もAさんには度々ご馳走になった。

蓄音機の落書き

 スピーカーとアンプを土産に宮﨑監督を訪ねた折のこと。 帰り際に監督が「これ」と言って封筒を差し出した。 「なんですか?」 「それで一杯飲みなよ」 見ると、『お礼』と書かれている。上には朝顔蓄音機の絵が。 「駄目ですよ。土産の礼金なんて聞いたことないですよ。それに一杯どころじゃな...