2022年5月1日日曜日

修繕

 「じゃあ日時が決まったら連絡するから」

宮﨑監督はモレスキンの手帳を開くと、「ここ。連絡先」と万年筆を載せて私へ渡した。
小振りのパイロット万年筆は年季もので、胴の割れたのをセロテープで巻いて直してあった。
眼鏡のツルもセロテープで、サンダルはガムテープで、監督はおおむねテープで直す。

2021年12月25日土曜日

本を探す

 久しぶりにジブリのSさんから電話。

ご無沙汰しておりましたお元気ですかとか、ええ何とかやってますとか、コロナ禍でーといった世話ばなしをひとしきりした後でSさんのいわく、

   「ところでつかぬ事を・・・以前、宮﨑さんからこんな内容の本を贈られたことはなかったでしょうか? 実は今その本を探しておりまして、宮﨑さんが『たしかあいつのところにあるんじゃなかったかな』と言われているのですが、もしお持ちでしたら拝借願えればと思いまして・・・」

内容を聞いて、すぐに何の本か判った。

「その本でしたら知っています。ただその本は監督からいただいたのではなくて、僕から監督へ差し上げたものなんです」

   「そうでしたか!宮﨑さんの勘違いですね・・・」

「その本で間違い無ければの話ですが。監督がお持ちのはずなので、二馬力か第一スタジオのどこかにあると思うんですが、でもあの本の数ですもんね・・・買った方が早いですね」


正確な書名と出版元を調べてメールしますと言っていったん電話を切ったが、調べてみると3年前に初版の出たものがもう絶版になっていた。古書で検索するとべらぼうなプレミアムを載せて売っている。

再度電話を掛けて事情を説明して、

「こちらで同じ内容の本を探してみます」

   「すみません・・・。こちらでも探し直しますので」


その日、店を閉めてから本屋へ。運よく同内容の本を見つけたので、買って翌日ジブリへ送った。

「風立ちぬ」の公開以降、宮﨑監督は常々『俺の頭の蛇口はもう全開まで開けてる。でも出てくるのはちょびっとだ』と言われていた。それでもイマジネーションを引き出す多足になるのなら本でもなんでも送る。


本を送った日の夕刻、今度は新潟市内ではなく実家近くにある地元の本屋へ行ってみた。すると、絶版になって古書で3万近くの値段で売られているはずの本、監督へ贈ったのと同じ本が、当たり前のように棚に並んでいた。

二冊目は週明けに送った。

2021年6月17日木曜日

 戦後のエルマーは、赤エルマーとなる直前の581501*からコーティングされるようになり、刻印の書体と絞り標記が大陸式から国際式へ変更されたが、この時期から、前玉から見た時の絞り羽根の見え方が明らかに以前のものと異なる。

これは屈折率の変化を意味しているので、以前から光学ガラスも変更されたのではと思っていたが、どうやらそうらしい。650700以降エルマーは再設計されているとの事。赤エルマーに至る光学系は旧エルマー、新エルマー、後期型新エルマー(含赤エルマー)と大分できる。

ただ、個人的にはM型世代ほどではないものの、後期型は曇りやすいので仕入れには留意したい。古い世代のエルマーの曇りは主にガラス自体の経年による失透が要因だけれど、時代の下ったものの曇りはコーティングの劣化や変質と失透が複合的に関わっているので、光学系への影響が大きい上に清掃ではほぼ除去できない。

ノンコートは、そういった意味では良い。

*追記:2023.3.20

59万番台後半、1945年のロットでノンコートの個体が入荷。ライカポケットブック日本版の記述とは一致していない。二つの仕様で並行して製造されていた時期があったのかも知れない。

2021年6月15日火曜日

これまで修理・整備してきたものに限って概観すると、コムラーは233〜238番台の広角から望遠全般にわたり、距離計連動カム精度と実ピントのいずれにても実用誤差を超えたズレが見受けられた。芋ネジのモミギリ位置や分解痕の無い事から、製造時の問題と思われる。

ピントのズレは、基準に対しておおむねオーバーインフであり、広角では一件のマイナス合致が見られたが、これについては部品の欠損に起因しており、ピントのズレという範疇には無い。

要因は組み上げ品質で、加工精度の問題ではない。ただし、加工後の部品の処理が粗雑であるという事は大いに言える。

望遠では、空気間調整用のワッシャー部に真鍮の切り子が挟まっており、その状態でピント出しされていたために鏡筒内を清掃して組んだところ、実ピントがズレてしまうという事があった。切り子がワッシャーとして作用していたためだ。

連動精度のズレについては、単純に7.5mmが守られていない事による。社内の一部の基準治具にズレや摩滅が生じていたのでは?原因はともかくも、この点は調整すれば済む。

総じて、同社の製品にはこうした製造時の粗さに起因する要素が一定割合で存在すると見るべきだろう。

古い時期のコムラーにはこうした問題はない。少くとも精度に関わる問題は。他の問題はあるが、それは写りには影響しない。


2021年1月3日日曜日

ヒイラギの葉

  「俺はいま、半径30メートルで暮らしてるよ」


『風立ちぬ』公開後、宮崎監督はよくそう口にしていた。

それは言う時々によって半径200メートルだったり50メートルだったりしたけれど、本質的に監督の言わんとしていることは同じだったと思う。

「それが今の俺の全世界だよ」

「スマホにくっ付いてるカメラって、あれずいぶん広角レンズだよね。あれじゃダメだよ。うんと近寄って見ないと。ものを引いて俯瞰で見てばかりだと、なんでも引いた見方・引いた考え方になっちゃう。隔ててしまうんだよそれでは。好きなものや気になるものはうんと近付いて見なきゃ。でないと、見えねぇ」

短編作品『毛虫のボロ』が完成したのはそれから3年後のことだった。

会話の中で宮崎監督の何気なく云われたことの中には、ステイホームで戸内に籠りがちな昨今の暮らしを有意義なものにするヒントが含まれているようにも思える。

ある時、宮崎監督を訪ねると、アトリエの横の植え込みに監督がしゃがみ込んでいた。私が挨拶すると、

「おー、ひさしぶり」

監督はそう言ってまた植え込みへ視線を戻した。

「ヒイラギをね。ちょっと・・・うーん」


ヒイラギの葉を一枚摘んでアトリエへ戻ると、監督はそれをテーブルの上へ置いてじっと観たり、手にとってクルクル回したり、テーブルに落としてみたりしていたが、やがて傍にあった紙と鉛筆を手元へ引き寄せて描きはじめた。

「このヒイラギの葉がさ、地面に落ちるんだよ、ハラリと。土の地面にだよ。でも小さな虫からしたらこんなデカイのが落っこちてくる訳だ、ズシーンと。どうやったら軽やかにズッシリと描けるんだろうね?」

「うーん、虫にとっても葉っぱはハラリだと思いますけど」

「と、思うだろ?違うんだよ。物理的な正確さでなく、本当らしく見えるっていう。でないと死ぬんだよ、動きがアニメにならないんだ。分からねえよな。俺もどうしようかと思ってさ・・・うーん、クソ!こんなヒイラギ描いたらカミさんに馬鹿にされるな。植物の絵は女房の方が上手いんだよ・・・うーん、ダメだこりゃ」

「監督、そろそろ帰ります。気が散るでしょう」

「気なんか散らないよ。俺は描いてるところと喋ってるところで脳の使ってるとこが違うんだから。50年描いてりゃ、話してても絵に集中するくらいな事はなんでもないんだよ」

「そうですか?でも」

「いいから。俺はまだ五時半まで時間があるんだから、君はそこへ座ってりゃ良いさ」

「じゃあそうします」

「俺はいま、半径30メートルで暮らしてるよ」


2020年10月5日月曜日

宮﨑監督の謎の技

おやつにと頂いたアップルパイが思いのほかサクサクで食べるのに苦戦した。 

ボロボロ生地の剥がれるパイを食べていたら、以前、宮﨑監督のアトリエにシナモンロールを土産に持ってうかがった時の事を思い出した。



いつものようにあれこれ話をしてひと息ついた時、「せっかくだからこれ食おう」と、監督はシナモンロールの箱を開けた。

淹れなおしたコーヒーを前に、カウンターで食べ始めたものの、すぐに他の菓子を選ぶべきだったと後悔した。サクサクのデニッシュ生地や砂糖が剥がれてこぼれる。

「ははは、ボロボロだなあ」

監督に笑われた私は、カウンターにどんどんこぼれて行くシナモンロールのなれの果てを手で集めながら、

「すみません。食べたら、ここ拭きますんで・・・」

謝りつつ顔をあげて見ると、そこには片手にカップを、もう一方の手にシナモンロールから剥がした紙を丸めて持ち、涼しい顔でコーヒーを飲む巨匠・宮﨑駿がいた。

シナモンロールは既にどこにも、影も形もなかった。

「いつ抜いたか、いつ斬ったか」は、子母澤寛の「座頭市」の有名な一節だが、宮﨑監督はあの大きなシナモンロールをこの数秒のうちに食べたのだろうか。
さらに驚くべきは、監督の前のカウンター上にも髭にも、どこにもシナモンロールのかけら一つ付いていない事だった。 

「監督、どうやって食べたんですか?」

「ええ?そりゃ普通に食ったよ」

静かに笑う巨匠を見て、私は「千と千尋の神隠し」でカオナシが番台蛙をひと呑みにするシーンを思い出した。

2020年7月7日火曜日

ポピーとよさかにて

帰り道、小腹が空いたので、新新バイパスの競馬場インターで旧道へ降りた。

旧街道沿いにあるドライブイン「ポピーとよさか」には古色蒼然たるうどんの自動販売機が今なお稼働している。

昔懐かしい自動販売機のうどん。給食のソフト麺みたいな麺は美味すぎないあんばいの良さでほっとひと息つかせてくれる。

店の一隅に文化財のような顔で据わっている自販機へ百円玉を3つ入れてボタンを押すと、古すぎて懐かしさよりも新鮮さを感じさせる光電管の文字がオレンジ色に灯って、実際の時間よりも早く30秒をカウントダウンする。

ややフライング気味に、ゼロまで数秒をのこして「チーン!」
出来上がりを知らせるベルの音も電子音ではなく本物のベルの音だ。

うどんもそばも、店内の厨房で洗って再利用される黄色いフニャフニャした器に満杯の状態で出てくる。狭い取り出し口に付いているアルミ製の落とし戸が強いバネで押されているので、柔らかい器いっぱいの熱いつゆをこぼさず取り出すにはそれなりの習熟度を要する。

注意深く取り出したうどんを、潔癖症の人が逃げ出しそうなペタペタしたテーブルにそっと置いたら、自販機に向きなおって箸入れから割り箸を引き出し、横のテーブルにふたつ行ってしまっている七味の容器をひとつ取り戻してから、座ってまずはつゆをひと口。

あれ?

つゆが薄い。というか塩気がまるで無い。色も無色透明。これはお湯だ。

「すみません」

店の奥にある厨房へ行って、出来損ないのうどんと引き換えに店のオヤジさんから百円玉を3つ受け取る。

「もう一回やってみて。駄目だったらまた返金するから」と店のオヤジさん。

うどんをもう一杯。「チーン!」

「ん・・・ああ、お湯だ!」

「また駄目?」

「いや、いいや。オヤジさん、醤油あります?これにかけて食べる。麺もかき揚げも何杯ももったいないから」

「そう?醤油あるよ。あるけど、つゆもあるよ」

「あ、つゆある?」

「そこ(自販機)に使うやつだから濃いけど、あんばいすれば」
と、業務用の大きな容器を奥から出してきてくれた。

容器の蓋を開けて、ほんのひと垂らしばかり器にチョロリと注ぐと、透明だったうどんの汁が途端に褐色になった。一体何倍濃縮のつゆなのだろう。

ひと口すすってみて、「あ、美味い。OK、今度OK」

「そう?いい?ゴメンね」

無事にうどんを食べて、帰途についた。また食べに行こう。


蓄音機の落書き

 スピーカーとアンプを土産に宮﨑監督を訪ねた折のこと。 帰り際に監督が「これ」と言って封筒を差し出した。 「なんですか?」 「それで一杯飲みなよ」 見ると、『お礼』と書かれている。上には朝顔蓄音機の絵が。 「駄目ですよ。土産の礼金なんて聞いたことないですよ。それに一杯どころじゃな...